まあまあ、6話までごくせんを見ていて、いろいろ言いたい事は
山のようにありますよ。
まあ、とりあえず、何か最近ちょっと話題になった、
精神科医の和田さんって人がごくせん批判をした件について。
3話目のイッチーの回が問題になってるらしいが。
秀才は性格が捻じ曲がってる、不良は心がきれい。
と、不良を正当化しているみたいなことを言ってるらしいが、
僕から言わせれば、ちゃんとドラマ見てる?って話。
問題の3話で言おうとしてたのは、そんなことじゃない。
一度はみ出してしまった不良生徒には将来もたかが知れてる、
どうせ俺らなんて何やってもダメ。
世間だって、青芝の生徒と赤銅の生徒どちらが将来明るいか?
って聞かれりゃあ、そりゃあ青芝の生徒。
青芝の生徒は、成績優秀で、赤銅の生徒はもちろん、
そこらへんのサラリーマンなんかより全然将来が約束された人間。
でも、そうじゃないだろう!
青芝のような秀才君だって、赤銅の不良と同じように、
世直しと称して暴行を働き、大きな過ちを犯してしまうこともあるし、
でもそれでも、どんな不良にも、どんな秀才にも、過ちに気づいた時、
いつだってそこからやり直すチャンスがあり、
同じだけの未来や可能性を持っているんだってこと。
自分の気持ち次第で、誰だって変われるんだってこと。
だからこそ、ヤンクミは、乱闘のあと、
過ちを犯してしまった青芝の生徒たちに
「お前らもやり直せるんだぞ」って言ったんじゃないか。
どんなやつもやり直せる。それを表現するために。
全然、不良が悪い、秀才が悪いなんて一言も言ってない。
この回で秀才の世直し事件を入れたのは、秀才も、不良も関係なく
自分次第でどちらも同等に世の中を渡り歩けるんだってことを訴えるため。
話は変わって、ごくせんのHPの掲示板を見てたら、
4話の廉の回で、不良に絡まれた廉を助けるために、
お姉さんが助けに行った時のシーンで、あそこでは
お姉さんは喧嘩が強くて、さすがにピンチって時にヤンクミが出てくる方が
よかったのではという意見があったけど、
僕的に、いやいや、あそこは姉ちゃん弱くなくちゃ。って感じなんだけど。
喧嘩が強くちゃ、あのシーンは成り立たない。
やられるのわかっててもそれでもそんなこと関係なしに、
ただ弟を助けたい、弟を守らなきゃっていう一心で
体張って立ち向かう。
それが表現できたんじゃないか。
だからこそ、そのあと、啖呵をきるヤンクミが言った、
「さっきだってお前助けるために体張って立ち向かって行ったんじゃねえか。
いなくなった方がいいなんて思ってるやつにそんなことしないだろう」
って言葉が証明されるんじゃん。
あそこで逆に強かったら、喧嘩強いから助けただけだろってなって、
姉の弟に対する愛情が証明されないじゃん。
あと、まあ、まだまだ言いたい事はたくさんあるが、
とりあえず言いきれないから今回はこの辺で。
そうそう、ごくせんはワンパターン化してるって言われてるらしいけど、
僕はむしろそれでいいんじゃん?って思うけど。
唯一ワンパターンアリのドラマの気がするけど。
ごくせんはあのワンパターンだからこそ、でも毎回最後は泣かせる
話だからこそ、毎回スカッと楽しく見れるんだと思う。
変えてしまったら、ごくせんらしさがなくなってつまらなくなると思う。
乱闘シーンも毎回いるのか?って意見もあるけど、
ごくせんは乱闘シーンありきだからね。乱闘シーンはごくせんの醍醐味。
はあ、それから考えないようにしててもどうしても毎回、
特に廉と猿渡教頭のシーンで考えてしまうんだけど、
もし桐ちゃんがこんな不良性とだったら、
お父さん絶対許さなかっただろうなって・・・
14歳の母の話さ・・・
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